会社倒産・私の倒産劇

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不可避に協力せよ
会社倒産・私の倒産劇

臆病な自分と決別しよう
・恋は盲目、あばたもえくぼ



 
 

・・・・・うぬぼれの結果・・・・・

 

 私が27才の頃(昭和54年ごろ)、私が社長をしていた会社を倒産させたことがあります。(店舗内装工事の設計・施工業、社員数人程度)
 その会社の社長になった経緯は、いわば若気の至りというべきもので、当時から中小企業診断士などの資格を取ろうと経営関係の勉強していたことと、自分が勤めていた会社の業績がふるわず、赤字が続き、当時の社長と、いまでいう経営方針の違いから、社長業を交代することになったのです。
 今から思えば、若干27才の若造(私)と社長業を交代する人(40才代後半、前社長)も人ですが、前社長とは交代後も同じ会社でしばらく席を並べて一緒に仕事をしていました。文字通り、独立でもなければ、会社の乗っ取りでもなく、へんな社長交代劇になったのです。

 そうなった理由は今になって思えば簡単です。累積赤字と債務超過で自分の責任を放棄したかった前社長と、自分なら立て直しが出来るという過信をもった私との利害が一致しただけのことなのです。(その以前から、その会社の役員になっていたことも遠因ですが)


 そして1年後、努力のかいもなく、1回目の不渡り手形を出して倒産・・・

 しかし、社長を交代した時点で大きな負債を抱えていたため、倒産までの後半半年間は、倒産回避のために、決してやってはいけない、いろいろな事をやりました。

・サラ金からの借り入れ・闇金融からの借り入れ(いわゆるトイチに近いヤツ)・知人や親戚からの借り入れ・融通手形(したりされたり)・手形のジャンプ ・銀行融資を受けるための粉飾決算・税金、社会保険料などの遅延・社員給与の遅延などなど。

 倒産のきっかけとなった不渡り手形は、わずか10万円だったのですが、要は『これ以上続けるのは無理。疲れた』の一言です。そして、そのとき10万円の資金すら手当て出来なかったのも事実です。

経営を知っている人が見れば、『あんた、すべてやったねえ。。』といわれるほど、経営者としてやってはいけないことをやっています。これらの方法を取り始めたら、会社が危ない証拠。倒産に進む道なのです。でも、この経験があるからこそ、帳簿の裏側も多少はわかるし、危ない会社の臭いも多少はわかるかも知れません。
注:危ない会社かどうかは、決して外からはわかりませんよ。


 不渡りが起きるかどうかは、その振出人である社長がもっともよく知っています。
 実は、そのしばらく前、一銭の融通出来るお金もなく、ジュースも買えないたった数百円のコインを握りしめて、その日の昼飯代だけを持って岡山方面に仕事に出かけたり、始発駅から終着駅まで普通電車に乗って、死んだ方が良いのだろうか・・と往復したり、 これで、一生結婚も出来ない、どこか地方に落ちぶれて、これからどうなるのだろうか、などと漠然と当てのない時間をさまよった記憶があります。

 出口も解決策もない時間です。倒産前とはそんなものです。
 そして、銀行にお金が無ければ、自動的に振り出した手形は不渡りになります。その取引先から 「10万円なら、待ってあげたのに・・」といわれましたが、実はわざと10万円という少額の不渡り手形を出すことを意図して行ったのです。その理由は、もう、これ以上資金繰りが出来ないのだから、犠牲の少ない会社に不渡り手形を出してしまおう、と考えたからです。
 会社にとって、不渡り手形を出すということは、もう、ダメです。会社やめます・・といっているのと同じなのです。


 そのときの負債総額は、約2000万円。当時の初任給が大卒10万円程度の頃ですから、今でいえば4〜5千万円程度でしょうか。
 倒産を報告する前で、私を罵倒する社員(当然ですが、、)
 しかし、大口支払先は、前任社長の取引先が多かったため、いわゆる取り立て騒ぎはありませんでした。(倒産後の事を考え、わざとそうしたのですが)
 そして、すぐに前任社長と面談し、前任者が作っていた業者宛の未払い金はすべて前任社長に持ってもらい(負担してもらう)、私の名前で調達した借入金は、私の方で返すことで決着をつけました。約1000万円(当時)。
 そのほとんどが、銀行融資、知人、親類からの借り入れ、闇金融の借り入れだったのですが、このとき受けたのが、知人と思っていた人の『夜討ち朝駆けの借金取り立て』。

皆さんは、夜討ち朝駆けの取り立ての怖さを知らないと思いますが、毎朝、毎夜電話から怒鳴り上げられる『金返せ』のドスのきいた声は、受けたものでなければわからない、いいようのない恐怖とプレッシャーがあります。
逆に言うと、夜討ち朝駆けの取り立てを経験すると、その逆も簡単です。相手を心理的に追い込む手段は、毎日毎日、電話で取りたてをするマメさだけなのです。

   


 でも、そうこうしている内に、以前から内装関係の設計や施工の仕事をもらっていた元請け会社の部長や支店長から、『倒産したんだって。堀さん、嘱託で働いてみないか』というありがたい誘いを受けました。

この会社は今でもありますが、当時数百人の社員がいた内装業界の大手企業で、その後、嘱託をやめてからも、ずっとおつきあいをしていた会社です。


 会社の残務整理をしたあと、その会社に移り、嘱託としてもらう給与の9割近くを自分が受け持った1000万円前後の借金返済にまわし、約2年で完済することが出来ました。
 この理由は、結婚をしていなかったこと。自宅から通勤出来たこと。元請け会社の配慮で嘱託の報酬も高めにしてもらったことがありますが、その間は自分で加入すべき健康保険も国民年金も入らず、ただ、病気をしないように、といった日々でした。


この教訓がなにを教えたのか。それは次ページ・・・・

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